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政治家・議員としての在り方を考える

September 17, 2016

議員になり1年半が過ぎようとしています。この間、それまでにはあまり関わることのなかった政治関係の人たちとの交流から、初めて知ったり感じたりすることが数多くありました。新鮮でもあり、刺激的でもあり、衝撃を受けることもありました。それまでがかなり限られた、いわゆる閉鎖的な環境だったのかもしれません。ここ最近、政治家、議員としての在り方とは何なのだろうと考えることがいくつもありましたので、現在考えていることをいくつか書いてみたいと思います。

 

○オフィシャルとプライベート

議員のオフィシャルな場というと、当然議会として開かれているときということになりますが、それ以外にも、議員として参加している会合も同様だと思います。そういう時に取った行動、発言には責任をもたなければならないものです。不適切なことがあったときなどは、名指しでの指摘や批判は仕方ないことだと思います。プライベートな場となると、生活を営む上で、他の人と同じような活動をしているときや、気の置けない仲間と過ごすときなどだと思います。その時、例えばスーパーで買い物をしているときや、パチンコ屋で見かけられたとき、仲間同士の閉じられた空間での酒の場などでの行動や発言などではオフィシャルの場とは違ったものでいいと思うのです。と、考えているのは自分だけで、他の人、市民の皆様は、常に議員はオフィシャルの場にいる人だと受け取っているかもしれません。

 

○政治と金・利権

昔から政治家に絡みつくようにお金の話は枚挙にいとまがありません。基礎自治体だとしても、政治家の権力にすがりつくような人が出てきたり、直接お金ということではなくても便宜を図ってもらおうという人が集まってきたりする話は、あるようなことを聞いたことがあります。議員なんだからこんなことはできるでしょう、などと言われてもできないものはできないのですが…。これもお金には直接関係ないことなのですが、自分たちの意見を通してくれたら応援しますよ(票を入れますよ)、と言ってくる人もいます。これも大きなくくりとしては、利権に関係したことと受け取れるのかもしれません。選挙で協力してくれたとなるとそれなりの恩返しとして何かしてやりたくもなるのでしょうが、そういうことはあってはならないと思います。政治家の周りにいると何かおこぼれ的に利益がもらえると思っている人は実は少なくないものです。そういう人の相手をするような政治家も昔はいたのかもしれません。もっとも、今は金や利権となると「献金・寄付」が分かりやすいと思います。便宜を図ってほしい企業や人からの献金や寄付です。市議会議員個人へはないことだと思います。しかし、政党に所属していると、直接は見えにくいことでも、国レベルのおおもまでたどっていくと、市議会議員としての活動が実は献金を受けている団体への利権につながってくる場合もあるのかもしれません。想像ですので、実際のところは分かりません。また、富山市議会では政務活動費の不適切な使用について、大勢の議員が辞める騒ぎになっています。議員への報酬は税金ということからもクリーンな政治、何のしがらみもない政治および政治家を市民は求めるようになってきていると思います。

 

「選挙で応援するから、○○をやってほしい」ということも一種の利権やしがらみととらえられるのかもしれない、ということを述べてきました。もしそうだとすると、そういう相談がまったくない政治家など私を含めて一人もいないと思います。私にしても、推薦してくださっている団体もあります。その団体は今でも自分が所属している団体で、いろいろと意見交換はしていますが、そこから政治的に何かを依頼されたことはありません。退職した教職員で構成されている団体と市の陸上協会ですから。教員をしていた経験から、自分の政治信念として教育の関係やスポーツ振興の必要性を訴えていますが、それはこれらの団体から言われてやっていることではありません。町内会からも推薦されましたが、教育やスポーツと関係ない普段からの自分の生活を通して必要だと感じていることも訴えているので…、これも利権なのでしょうか。

 

○不適切な発言

私が議員になってからも全国では、議場や常任委員会でのヤジを含めて、セクハラ発言や差別発言をして糾弾された事件がいくつかありました。新潟県内でもありましたから覚えている方もいると思います。こんなことくらい、冗談のつもりだったのに、何気ない一言だったのに、では済まない時代になってきたことに、気づかなくなっていたのかもしれません。あるいは、気をつけていたのについ感情的になってポロッと本音が出たのかもしれません。上記の議場でのセクハラヤジを言った議員や常任委員会で差別発言をした議員は、社会的な制裁を受けています。政治家なら、オフィシャルな場での自分の発言には責任をもたなければなりません。ただ、プライベートの仲間だと気を許した時の政治的な発言が、大ごとになることも実はあるようです。自分は他とは違うんだとか、人の上に立ちたいと思っているような人ほど、このような自分を目立たせたり、不用意に人を傷つけたり、責任も取れないような発言をしてしまいがちなのかもしれません。最近も選挙に関わって周りの人を巻き込み、はたから見ても大丈夫なのか、と心配されている方もいるようです。

 

発言といえばこんな発言。「いじめられていたら、自分はいじめられていると人に言えばいいじゃないか」「生活費が足りないなら、もっと働けばいいじゃないか」「高校に行けるようにもっと勉強すればいいじゃない」…。これらは、なんてこともない、正しいことを言っている、と思った人も少なくないのではないでしょうか。これらをそうと感じられた人は「強者の理論」の持ち主です。別の言い方をすると「上から目線」の持ち主です。いじめられてもそれを言えないから悩んでいるのです。働きたくても勉強したくてもできない現状や環境であるから苦しんでいるのです。そういうことへの意識や配慮が欠けているから、そういう人の心に気づかないから、つい言ってしまうのではないでしょうか。本来なら、こういう方にこそ寄り添うのが政治家だと思います。弱い立場の人が、強者の理論で言われた時には、どうすればいいのでしょうね。

 

○オフィシャルな場でのこと

議員としてオフィシャルな場(議場や委員会だけでなく議員としての会合への出席時などを含めて)に出ると、周りの方々の目が気になることがよくあります。遅刻したり居眠りすることは言語道断ですが、服装や所作を含めた動き、言葉遣いやその内容は当然見られていることですし、わずかな時間を見つけてはスマホをいじっている姿や、飲食禁止の場での飴やフリスク的なタブレットを口に含むこと、酒席での乱れ方、なども見られていることが少なくなく、相手に時には不快感を与えていることもあると自覚する必要があると思っています。事実、そういう場面を目撃して、嫌な気分になったと話をしてくれた人がいましたから。

 

○所感

議員をしていると、その関係の人には「政治家重野正毅」としての一面が、すべてであるととらえられると思います。一方議員をする前の自分を知っていたり、プライベートまでオープンに付き合っている人には「一人の人間重野正毅」としての私が受け入れてもらっているのではないかと思います。私自身としては、この両面に違いはつけていないつもりであっても、受け取る人にとっては当然のように差があると感じているかもしれません。裏表があるとか、八方美人という言葉があり、それらはあまりいいイメージで使われていません。しかし、人間とは、付き合っている人それぞれに見せる顔はすべて違っている生き物なのではないでしょうか。それぞれの人に対して最善と思われる表情で、最適だと考える言葉遣いと内容で、意思の疎通を行っているのです。誰にでも同じ表情や言葉遣いをする人なんて一人もいなのではないかと思います。そうはいっても、議員だから付き合っているのだ、というのでなく、一人の人間として認め合えるような付き合いをしていける人をもっともっと増やしていきたいと思っています。私は議員なのだから大目に見てよとか、議員って忙しいからスマホから手が離せないのよとか、私は人とちょっと違うのですよという雰囲気を醸し出すような人は、一人の人間としての付き合いを拒絶していたり、自ら壁を作っていると思うので、そんな人にはならないようにしたいと思います。

 

以上、いろいろだらだらと書き綴ってきました。議員として少なからず人に認めてもらっている今は、これまで以上に人間性を磨き、誠実に生き、政治家だから仕方ないなどとマイナスに思われることだけはしないようにしていきたいと思います。また、政党に所属していないからこそできることを考え、多数少数に関係なく誰にでも分け隔てなく一人一人の意見に耳を傾け、その気持ちをしっかりと受け止めて市政に届けていきたいと思っています。それにしても、まだまだ物事を見る視点・角度が足りなかったり、目的達成のためのアプローチの手立てが少なかったりしていることは自覚していますので、さらに勉強、経験を積んでいきたいと思います。

 

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