大切なことは市民目線
今年になり、今まではあまり表だって使われることがなかった言葉が政治の場面で頻繁に使われているようです。流行語大賞を取るのではないかと思うくらいのインパクトがある言葉、「忖度(そんたく)」です。意味は「他人の心をおしはかること」「他人の気持ちを推察すること」ですが、「気を利かせる」と置き換えてもいいようです。今は政治の面でよく使われていますが、それだけではなく、文学作品にも使われていました。
例えば、「ほんとうに平気で言っているのかしら、と葉蔵のこころを忖度していた。 (太宰治『晩年』より)」「 およそ相手の気持ちなど忖度するほうではない男なのに。(高杉良『金融腐蝕列島(上)』より)」「思慮深いうえに、まめな性格で、何よりも他人の心を忖度することができた。(浅田次郎『壬生義士伝 下』より)」などです。
厳しい方は、基本的に政治家は忖度されるもので、政治家から忖度を取り除いたら何も残らない、などと言う人もいます。
基礎自治体(市町村)の議員はその自治体の住民の目線に立ち、その自治体として必要な取り組みの提案などをしていくことが大切ではないかと思います。当然、県や国、あるいは所属政党の方針を市民にまで広めていくだけでは活動として十分ではありません。また、例えば、この自治体でも子どもたちをきめ細かく見取る必要性があるというような教育問題を主張していたかと思えば、教育関係の請願としての少人数学級の早期実現には反対したり、その人なりの根拠はあるのかもしれませんが、市民にとっては「矛盾している」「票欲しさの薄っぺらな主張」と受け止められられても仕方のない言動をすることも問題があると思います。
ある人がその場所で生活していく上で不便や不満、不安を感じるとしたら、その他のところで生活している人にはそれを否定することはできません。その人に寄り添い、不満や不安に耳を傾け、その解決に向けて一緒に考え、必要であれば当局につなげていく、ことが求められます。これは何も議員でなければできないことではなく、町内会の役員でも、民生委員など福祉関係の方でも、あるいは友人や近所の人、家族など誰でもできます。そうした寄り添った関係性が作れれば、たとえ現状が変わらなかったとしても、それまで持っていた不満や不安は少なからず減ってくるかもしれません。
まとまりがありませんね。言いたかったことは、基礎自治体の議員は、政党に所属して県や国などいわゆる上位概念とのつながりがあることも必要なことかもしれませんが、第一は、主義主張ににとらわれず、みんながこのまちに住んでよかったと言え、納得できるようなまちづくりを、目の前にいる人に寄り添い、同じ目線に立てる議員でなければならないということです。
国がこうなんだから自治体もそれにならうべきだ、ある面これも必要なことではあるのですが、ということを大上段に振りかざして、上から目線で市民に対応するようなことがないようにしなければならないと思います。また、議員である自分が当局に伝えれば、きっと忖度をしてくれて、伝えたことがすぐに実現されると思ったり、陳情を受けた人に言ったり、当局が動かなければパワハラまがいのことを言ったり、威張ったりすることがあってはならないとも思います。
いずれにしても、私はどこの政党にも所属していませんし、利権関係のしがらみもありません。言行不一致がなく、矛盾がない、市民と同じ価値観と判断基準を持ち合わせ、純粋な気持ちで大勢の市民の考えを聞き、偏りのない判断をして、柏崎市の発展を考えた活動を誠実に行っていきたいと思います。こういうことがいわゆる、「市民ファースト」ということだと思います。
最近いろいろな方とお話をさせてもらっています。いただいたお話が自分自身消化できていないようで、今日のブログは「私の主張」のような内容になってしまいました。すみませんでした。