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中央地区防災訓練


今日は中越沖地震から12年の日でした。この日に合わせて市内各所で防災訓練が行われました。中央地区でも中央コミセンで防災訓練を行いました。各町内の代表者が集まり、「総務・情報班」「食糧・物資班」「環境衛生・要援護者班」に分かれて打合せをし、総務班は避難所運営を、食糧班は炊き出しを、環境衛生班はロープの結び方や消火などの研修・実習を行いました。中央コミセン内では、各町内はどの班に所属するかは決められていました。

今日は10時に市の防災情報無線で全市一斉の防災訓練の放送が入り、その後中央コミセンでは各町内から避難所としての中央コミセンに徒歩で集まり、上記の訓練を行ったわけです。80人ほどが集まり、当然のことながら全員が真剣に訓練に取り組んでいました。今日の訓練を各町内に持ち帰り、それぞれの自主防災に活かしていこうという気持ちをひしひしと感じました。

炊き出し訓練はしょっちゅう行えるものではありません。今日は100人分のごはん(アルファ米)とサンマの缶詰汁を作りました。正直なところ、私は非常食アルファ米を食べたことがありませんでした。水を加えるだけでご飯になるとのことですが、今日はお湯を加え、20分そのままにして50人分を作りました。おいしくないという方もいるようですが、全然そんなことはありませんでした。大変おいしくいただきました。サンマ缶のお汁もおいしかった。

あの中越沖地震からもう12年が経ったわけです。全国から見るとこの中越沖地震は新潟県の柏崎市という局所が被害を受けただけのような、あまり大きな災害だと受け取られていないのかもしれません。もしかすると忘れている人もいるかもしれません。しかし、当事者である我々はそういうわけにはいかず、風化させてはならない貴重な体験として受け継いでいかなければなりません。

この機会に今一度確認をしていきます。

・柏崎市には5台しか救急車がない(出雲崎を入れると6台)。災害時には本当に救急を要するかどうかを救急隊が判断し処置を行う(トリアージ)。

・地震に備えて平時に確実に行っておくことは、「住宅の耐震性を高める」「家具を固定する」ことである。少なくとも1981年前に建てられた住宅は耐震診断を受けること。

・東日本大震災の問いの避難場所で聞かれた言葉は、「避難訓練に出てこなかった人が亡くなってしまったね」。

災害時にはまずは「自助」ですが、その後は近所の人たちとの「互助」が行えるようになっていることが大切です。町内会やコミセン単位の「共助」までに至る前に、町内の班ごとくらいの助け合いがスムーズに行えるように日頃からお互いの顔を確認し合えるような生活をしていきたいものです。

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