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東日本大震災から6年

6年前の今日、2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災。それにより亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。また、被災された皆様へは心よりお見舞い申し上げます。

6年前、東日本大震災が発生した日は新潟県では公立高校の合格発表の日でした。私は当時勤務していた西山中学校の教務室で生徒の合否確認をしていました。地震が発生したことが伝えられた後、テレビをつけたら、津波がまちなみを飲み込んでいく様子が映し出されていました。その時は、これが生の実際の映像か、映画やCGで作られたものなのかの判断すらつかないくらい、頭の中が混乱していました。こんなことがあっていいものか…と。

当時の様子やその後の福島第一原子力発電所の事故、そのため避難を余儀なくされた方々の生活など、何度もニュースや映像、書物でみてきました。昨日までのテレビ番組内では、大震災当日に被災地で産まれた子どもたちの姿が映し出されていました。その子の家族の様子を見て、当時のお話を聞くと胸が締め付けられます。でも6歳になるその子は当然のことながらその日の記憶はなく、4月から小学生になる希望に満ちた表情をしていました。

地震は天災ですが、この大震災でのいまだ終息していない避難の要因となっているものは原子力発電所の事故、人災ではないかと思います。原発の安全神話に胡坐をかいた不十分な安全対策が、被害を大きくしたのだと思います。その後、原子力発電の人類および生活に対する功罪について、全国民が考え、各電力会社や政府の動向を注視するようになりました。原発の功罪をここに記そうとは思いませんが、一方向からの見方だけで判断したり、犯人を見つけ断罪するだけの方向には進むべきではないと思います。今回の大震災と原発事故に関しては、一人一人に思いの優先順位があり、それはその人の判断ですから、正しいも間違っているもないと思います。それをくみ取り、総合的に判断して方向付けるのは政治の役割です。福島第一原子力発電所の当事者である東京電力が柏崎刈羽原子力発電所を管理していることが、柏崎刈羽の地元の原子力発電所に関わる不安を増大させていることにつながっています。今後の原発及び原子力政策の方向性はまだまだ不透明ですが、私自身としては傍観者的意識をもたず、当事者の一人であるという意識をもち続け、様々な視点からの考えを学ぶと同時に多くの方々の気持ちを受け止めていきたいと思っています。

私ごとですが、1週間前から目の調子が悪く、両目でものを見ると二重に見えています。両眼で見たときの症状ですので乱視ではなく、両眼複視といわれる症状のようです。眼科、脳外科など何件もお医者さんに診てもらいましたが原因が分かりません。困っています。 

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