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大阪堺市人権ふれあいセンター

大阪の堺市にある「堺市立人権ふれあいセンター」を訪ねました。大阪では同和問題が大きな社会問題としても取り上げられている地であり、実際の様子や学校での同和教育の実態はどんなものかを知りたいと思っていました。

人権ふれあいセンターでは、連絡もせず当日行ったのですが、丁寧に説明をしてくださり、堺市だけでなく、多くの被差別部落のことについて改めて知ることができました。

○差別を受けていた人は奈良時代の頃からいた。いわゆる税金がかかるところから逃げ出し、社寺に集まってきたことが始まりと考えられている。

○実際の差別がより日常的になったのは明治時代から。それまでは貧しくても仕事もあり、不自由なことは少なかったようである。新平民として位置づけられたことがきっかけで差別が激しくなったと言われている。税金をとるために新平民とした。

○昔からの社寺の掃除や汚れたもの死体などを片付けていた人たちがいる。これらは位が高いとされていた僧侶はしなかったこと。こうした仕事をしていた人は社寺の周りに住んでおり、集落を形成し、次第に後世の被差別部落になっていったと考えられている。

○全国水平社設立にあたっては共産党が関わっていた。この水平社の理念は素晴らしいのだが、行動が過激すぎたため、一層差別が強まったとも言われている。

堺市ならではの歴史や差別問題も詳しく聞かせていただきました。同和問題は大阪だけの問題ではなく、全国にあり、新潟県でも学校での人権教育の中核をなすものとして同和教育を位置付けています。正しく理解することと、差別を許さない強い意志をもって、適切に行動していく人を育てていかなければならないと思います。法律的にはその期限が終わり、中には同和問題は解決済みであると解釈している人もいるようですが、現実問題としては全く解決はしていません。今では様々な利権問題も絡んでいて、この同和問題に触れたがらない方もいるようですが、少なくても学校教育としては、同和教育は人権教育の最重要事項の一つとしてこれからも力を緩めることなく指導してほしいと思います。

また、柏崎市ではそんな問題はないから取り扱わなくてもいいのではないか、と考えている方もいるかもしれません。しかし、問題がないことはないのです。その方の耳には入っていないだけで、現在もこの差別意識は残り、会話の中にも聞こえることがあります。柏崎市の学校教育でも人権教育は重きを置いています。これからも指導を継続させていき、真の解決を図っていってほしいと思います。

堺市といえば千利休でも有名です。千利休の本名は「田中与四郎」です。ご存知でしたか?私は今日初めて知りました。

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